デッサンは見えるものをそのまま描いてはイケナイ!
私は絵描きではない。でも絵を描く。そして絵について思う。絵について思ったことを書いてみる(^^
「デッサンは見えるものをそのまま描いてはイケナイ!」
・・・という絵描きではない人の主張(^^;
デッサンは見えるものを正確に描くことと教えられる。見えるものを正確に描こうと努力する。が、初めは見えるものを見えるように描けないから苦しみ、見えるものをそのまま描いても良いデッサンにならない。ということを、描いたことがある人ならば実感するはず(笑
絵を描きたいとか、学びたい人はデッサンが出来ないとか、デッサン力がないと思う。だから、絵を描くときにはデッサン力を鍛えたほうが良いと思うだろうし、デッサンが上手くなりたいと思う。私が経験した教室でも最初はデッサンからというのが普通だった。
木炭や鉛筆デッサンで石膏像や人や花を描く。時として、目の前の花びらの一枚を描けないで苦しむこともある。
だが、・・・そのことに意味はない!(断言)美大受験生や写実の訓練をするのならいざ知らず、大人が良い絵を描くためには必ずしもアカデミックなデッサンを描く必要はない。
若いころ行った教室で皆が一律にコーラのビンを描かされた経験がある。次は全員、リンゴだった・・・描きたいとは思わなかった。描きたくないものを描く気は無いので直ぐに辞めてしまった(笑
描きたいものを描けばよいのだ。花を描くとしたら、たくさんある花の中から描きたい花を選ぶ。絵を描くのは、その時から既に始まっている。誰かが置いたリンゴなんか描きたくない。私は自分が選んだ花を描きたい。
人によって選ぶ花が違う。好みによって、または感覚的に選ぶこともある。けれど、選んだ理由を明らかにすることは少ない。何かが違う!感覚的に違和感があると思うだけだ。
花を選んだ理由には、こっちの花のほうがカッコイイ。美しいから、可愛いから、と思う場合もある。だけど、言葉にしない、言葉にならない理由のときもある。花瓶に刺すときの角度。光の加減、自分の座る位置、などを自分が選んだ感覚的理由もあるはず。
「なぜ、私はこの花を選び、この場所を選んだのか?」と自分にツッコミを入れれば良いと思う。その理由は感覚でも良いはず(^^
そして初めは描き方が分からない場合も多い。それならば私は花びらを分解する。知らない花や描きにくい花は先ず解剖する。感覚で分からない場合は現実で分かろうとするのだ(笑
水仙の花びらは丸みのあるひし形で3枚セットが上下2段になって真ん中にラッパ状の筒が伸びている。めしべは1本。おしべは6本。軸はクビを傾げたようで曲がったところは楕円形に膨らんで油紙のようなものに包まれている。輪切りにすると筒型でひし形のような両端が尖った楕円形・・・と言葉にすれば良い。いや、忘れないようにメモを書こう(^^
形の変な花や感覚的に気に入らない花びらがある場合、これを描きたくなければ、描きたい花びらに変えたら良い。それが私の感覚だから(^^
変な形の花びらに苦しむ必要はない。花びらは花びらの都合で曲がっていて1個ずつ少しずつ違うのだから。描きやすい角度に変えたり、曲がっている、汚れている1枚の花びらをキレイな花びらと交換しても良い。
いや、むしろ枯れた花びらや虫に食われた葉を選んで描くともっと面白い♪それを選んだ意識が大切だ。それが私の感覚だ!・・・って言ってみる。
あるものをあるがままに描くことは決して良いことではない。私はカメラじゃないのだ!たまたま5枚の花びらの水仙しか残っていなかったら、どうするだろう?
そのとき花の基本の構成や仕組みが分かっていれば、多少の形は自分で変えて描くことも怖くない。描きたい花びらを見つけたら描けるはずだ。
何も知らなかったときの絵と、描きたいことを知ったときの感覚で描いた絵は、絶対に違うはずだ。
それが、自然のものの模倣から、描き手の創造・創作へとつながっていく。・・・筈なのだが(^^ゞ
ということで、デッサンは
「見えるものをそのまま描いては、イケナイ!」ということになる
・・・・ん? ん? ん? (^^
ひとりごと
独断と偏見で書いてみました(^^)